スク玉ブログ

大阪大学の大学院合格(塾生ストーリー)

月日が経つのは早いものだとつくづく感じる さんなん です。なんせ、彼はもう大学4年生とは。卒塾するとね、学年がわからなくなるんですよ。当時通っていた生徒の名前を数名挙げると、「あぁ~あの世代か~」ってようやく名前と年代が繋がる。これ塾の先生だけでなく、学校の先生も同じなのでしょうか??



今日は、先日、卒塾生のSくんが塾に遊びに来てくれたので、彼の塾時代の話を思い出しながら書いてみようと思います。シリーズ、塾生ストーリーを届けします。お時間がありましたら、ぜひ読んでいただけたらと思います。




S君は現在岐阜大学に通う大学4年。就職はせず、大学院へ行く道を選んだ。本当は1年間休学して留学する予定だったが、コロナの影響でそれも叶わず。仕方なく休学を取りやめ、そのまま大学院への進学を選択したのだった。しかし、せっかく大学院へ行くならもっと自分のやりたいことに挑戦したいという理由で、他大学の研究室を探し、見つけたのが大阪大学だったということらしい。



大学院というのは、自身が通う大学だと一般的に合格しやすいもの。それでも今年はコロナ禍にあり、就職は止めて大学院へ行く学生が多いとの話はすでに耳に入っていた。となると、他の大学院を受験となると、難しいのは必然。



彼は半年間、猛勉強して結果は合格。来年の春からは、大阪に拠点を移して大学院生となる。




実は彼は大学2年生まではスク玉の講師として働いていた。実験もあって忙しいという理由で、大学の寮に入るタイミングで講師も辞めたのだ。だから、彼と会うのは約2年ぶりになる。久しぶりに彼の顔を見たが、変化は感じなかった。1つ変わったところは、オシャレ眼鏡をかけていたことだね。




でも、こうして連絡をくれて会いに来てくれる生徒はちょくちょくいる。私としてはとても嬉しいし、昔を思い出すキッカケにもなる。





彼のエピソードというと、、、2つほど思い出がある。




1つは、彼が小学5年生の頃のこと。

この1年はガッツリ勉強しようという方向で保護者面談で決まり、小5の1年間はそれこそ中学受験組並みにガッツリと勉強プランを組むこととなった。当時、彼が好きだったサッカーは回数を減らして我慢し、塾は週2→週3に授業回数を増やしての勉強となる。国語は読解問題まで、算数は中学受験レベルが少し入った難しいテキストに変更。理科、社会も毎週テストというスケジュールになった。



やるといったらやる。とにかく1年間は頑張ろうということで、予定表通りに勉強を進める。あとから聞いた話だが、宿題が終わらないと言って夜に泣きながら問題を解いていた時期もあったそうだ。
きっとこの選択が正しいのか、何度も自問自答していたのではないかと私は思う。この1年は本人も我慢しただろうが、それ以上に見守っていたお母さんも辛かったハズ。それでも、なんとか1年間走り続けてやりきった。



翌年の小6の1年間は好きなことをさせたいということで、勉強は通常モードに変更。1年も我慢した分もあり学校での勉強にも自信がついて、時間がゆする限り大好きなサッカーも思い切り取り組んだ。中学に入ると、クラス議員や学校行事の実行委員にも取り組むようになった。



この変化は本当に印象に残っている。もともと緊張するタイプで、夏の暗唱大会でも頭が真っ白になって気分が悪くなりリタイアした姿も見ている。そう考えると、自信っているのも人が変わることに必要な材料なのだと感じた。




勉強面では、中3の夏の模試で5科偏差値75超えをたたき出したことは今でも覚えているが、切れ者タイプではなく純粋に努力家だということはずっとそばで指導してきたからこそわかること。小5で身につけた学習習慣はずっと続いていたのだ。





2つ目は大学受験の時。
高校受験は地元のトップの公立に合格。塾も高1の5月末で卒塾し、勉強は自分で頑張るということに。しばらく音沙汰もなかったが、彼が高3のセンター試験後に急に連絡が入った。


「先生、少し相談に乗ってください」と。



話を聞くと、どうやらセンター試験で思うような得点が取れなかった様子。そして、本人は第一志望の大学に合格できなかったら浪人する覚悟があるとのこと。しかし、お母さんは浪人には反対。そこで、「もし受験がダメだった場合は、宅浪(予備校に行かずに自宅で受験勉強を1年頑張ること)するので、ちょくちょく塾で指導を受けれないか」というものだった。



時は少しさかのぼるが、彼が相談に来る前にお母さんから電話があった。「うちの子、先生に相談に行くって言ってて。実は、高3になってから大手進学塾に通わせている。だから、浪人ということはできれば避けて欲しいというのが私の考えです。」とのこと。



なるほど、本人が宅浪っているのはそういうことか。本来は受験前にそういったことは話し合っておくものだが、どうしたものか。とにかく1か月後には受験が控えていることも考えて、私は「まず受験に集中しよう。ダメだった場合は、うちで良ければ使っていいから。」と伝えた。




結果はダメだった。家族で相談して浪人はせず、後期試験で合格した岐阜大学に進学することとなった。そして、半年後に講師として雇ってくれないかという相談があり、採用し塾を手伝ってもらったこととなった。





以上がエピソード。本当にいろいろあったね。



人生に勝ち負けなんて考えたことはないが、受験で上手くいかなかったことが彼をまた強くしたのかもしれない。これは本人にも伝えたことだが「大学1~2年の時って、なんだかかフワッとしてたよね。あんまり真剣さがないというか、心ここにあらずというか。そう考えると、今の方がいいね!」って。「そうですか~?でも、今は楽しいです。」ってさ。凹んだ時期があってこその今。人生、本当にどうなるかわからない。そう感じましたね。



その後も「周りの卒塾生は何してる~?」や「岐阜駅の美味しいお店」などなど話をしました。短い時間ではありましたが、事前にちゃんと連絡をくれたのでじっくり話が聞けて嬉しかったです。



彼は小4(?)から高1の5月末までのスク玉に通っていました。約6年間になります。
講師の時間も合わせると、彼の人生の3分の1はスク玉が関わっている時期になります。これだけ長く一人の人間と関わることができるのは、塾だからこそ。指導している時はゆとりはないですが、今となると一人の成長を見届けることができたのは財産としか言えません。



彼もまだまだこれから社会へ飛び立つわけなので、今後も山あり谷ありを必ず迎えると思います。また時間があえば、報告に来てくれると嬉しいです。良い報告でも愚痴でも構いませんよ。お待ちしております。また、長期に渡り送迎にご協力いただいたご家族の方への感謝も、再度ここで伝えさせていただきます。本当にありがとうございました。



いや~心が温かくなりました。また頑張ろう。



それでは、また明日(*^^)v。




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