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社会人、ハンパねぇ。思い出した、あの時の記憶。

社会人1年目に初めて母の日に、母にお花を贈った さんなん です。
 
 

大学を卒業した私は岐阜県の大垣市にいました。社員数60名ほどの小さな会社に就職。大きな目標もなく、なんとなく通った大学、なんとなく就いた電気設備の仕事でした。



現場にプレハブを建て、その中で職人さんに指示して設置までを管理するのが主な仕事です。CAⅮ(製図)やらISO規格やら電気主任技術者資格やら覚えることがいっぱいでした。
 


 
プライベートでは、実家を出ての初めての一人暮らし。家事も、料理も、何もかも初めてでした。朝6時に起きて7時には出社。帰りは日が変わってから帰宅することもしばしば。



月に休日が3日しかないときもあり、仕事終わりが日をまたぐ時だって当たり前。翌日はまた7時に現場へ。当時はブラックという言葉がまだなく、それが当たり前になっていた時代。社会人ってハンパねぇって思ってました。
 
 


仕事後には初めての土地を、友人から譲ってもらった原付でその地域の探索。好きだったバドミントン初心者が集まる社会人クラブに参加し、時にはそのメンバーと大会に出場しましたね。
 


 
当時は「着うたフル」の全盛期。携帯電話に歌をダウンロードして、目覚ましの音源にしていました。ネットも今みたいに便利さはまだなく、速度も遅く、情報だけが載っている程度のものしかありませんでした。
 
 
 
 
そんな社会人1年目の5月、私に1通のメールが届きました。 
 
 
 
 
 
「まくん あり」
 
 
 
 
 
 
続けて、もう1通。
 
 
 
 
 
 
「まっくん、ありがと」
 
 
 
 
 
 
 
母から届いたメール。
 
 
 
 
 
 
私には、母の日に贈ったお花のお礼だとすぐわかりました。
 (私の本名は、まさひろ なので、まっくんは私のこと)
 
 
 
 
 
 
 
照れくさくて直接、感謝の気持ちが伝えれなかったあのとき。初任給で何か買ってあげよう思い、ベタですがお花を贈ろうと考えたのです。
 
 
 
 
 
 
機械音痴な母。当然、メールなんて使ったこともないのに。無理しちゃって。
 
 
 
 
 
 
 
あれからもう何年が経ったんだろうか?
 
 
 
 
 
 
 
就職を誰よりも喜んでくれた母親。それなのに仕事を1年で辞めることになったときも、「自分の人生だから、悔いがなければいいんじゃない」って言ってくれました。
 
 
 
  
 
仕事を辞めて少しでも母の手伝いができればと塾で・・・3~4年ぐらい続けたときに母が亡くなって。そこからは覚えていないぐらいガムシャラに走り続けてきた。




いまだに社会人1年目のあの思い出。
建設現場でメールが届いたあの日、暑かったな。



6月24日、母の命日です。そして、私にとって初心を思い出す日です。


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